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「ニューエラ」は1920年創設、100年もの歴史を持つ米国のヘッドウェア&アパレルブランドです。
メジャーリーグベースボール唯一の公式選手用キャップサプライヤーであり、そのルーツはスポーツにありますが、
数多くのブランド、アーティストとのコラボレーションや、新しいスタイル、カテゴリーの商品を生み続けることで、
ファッション/カルチャーの領域でも高い支持をうけています。
代表モデルであるベースボールキャップのスタンダード[59FIFTY®]をはじめ、
アパレル、バッグなど多彩なラインナップを展開しています。

「ニューエラ」は1920年創設、
100年もの歴史を持つ米国の
ヘッドウェア&アパレルブランドです。
メジャーリーグベースボール唯一の
公式選手用キャップサプライヤーであり、
そのルーツはスポーツにありますが、
数多くのブランド、アーティストとの
コラボレーションや、新しいスタイル、
カテゴリーの商品を生み続けることで、
ファッション/カルチャーの領域でも
高い支持をうけています。
代表モデルであるベースボールキャップの
スタンダード[59FIFTY®]をはじめ、
アパレル、バッグなど多彩な
ラインナップを展開しています。

HISTORY

1920's 1930's 1940's 1950's 1960's 1970's 1980's 1990's 2000's 2010's 2020's

1920年、創業者エルハルド・クックは姉ローズから500ドル、
同僚から500ドルを借り、Eクック・キャップ会社という名の帽子会社を設立。

1920年、創業者エルハルド・クックは姉ローズから500ドル、同僚から500ドルを借り、Eクック・キャップ会社という名の帽子会社を設立。

アメリカのバッファローにある
高級紳士服店にて扱われた、
ウール素材を採用した初期モデル。

一般大衆の娯楽として大きな人気を集めていた野球に着目し、1932年に創設者の
息子であるハロルドは、スポーツ用キャップのビジネスに参入することを決める。
その2年後、初めて「ニューエラ」のプロ用ベーシボールキャップである、
クリーブランド・インディアンスのホーム用とアウェイ用が誕生。

一般大衆の娯楽として大きな人気を集めていた野球に着目し、1932年に創設者の息子であるハロルドは、スポーツ用キャップのビジネスに参入することを決める。その2年後、初めて「ニューエラ」のプロ用ベーシボールキャップである、クリーブランド・インディアンスのホーム用とアウェイ用が誕生。

1934年、MLB用に製作した
クリーブランド・インディアンスのキャップ。

1940年代初頭、ニューエラの顧客には、様々なスポーツの地方リーグ、
マイナーリーグ、大学チーム、カナダのチームなどが名を連ねていた。
1940年代後半、「ニューエラ」にサイズ調整可能なキャップが登場し、
膨大な量のオーダーが舞い込んだ。

1940年代初頭、ニューエラの顧客には、様々なスポーツの地方リーグ、マイナーリーグ、大学チーム、カナダのチームなどが名を連ねていた。1940年代後半、「ニューエラ」にサイズ調整可能なキャップが登場し、膨大な量のオーダーが舞い込んだ。

工場などの業務用ユニフォームとして
誕生したワークキャップ

1954年、ニューエラのフィッテド・キャップがハロルドによって、
改良、変更を加えられ、 59FIFTY®と名付けられた。59FIFTY®は
ブルックリン・スタイルとも呼ばれた。ハロルドはニューエラの
トップでいた間に多くの進化・革新をもたらした。

1954年、ニューエラのフィッテド・キャップがハロルドによって、改良、変更を加えられ、 59FIFTY®と名付けられた。59FIFTY®はブルックリン・スタイルとも呼ばれた。ハロルドはニューエラのトップでいた間に多くの進化・革新をもたらした。

1960年代初め、ハロルドとデビッドはマッカリフィ社からの製造受託を
終了することにした。ストール&ディーン社に対しては60年代を通じて
交渉が続いた。チーム契約を取るためにキャップの洗濯と型直しのサービスを行った。

1960年代初め、ハロルドとデビッドはマッカリフィ社からの製造受託を終了することにした。ストール&ディーン社に対しては60年代を通じて交渉が続いた。チーム契約を取るためにキャップの洗濯と型直しのサービスを行った。

1969年から1995年まで
使用された、キャップ型のロゴが
刺繍されているカンパニーキャップ

1974年、この時点でメジャーリーグ・ベースボール24チーム中の20チームが
ニューエラと契約していた。地方から全国規模まで、様々なスポーツで毎年順調に
事業拡大し続けていた。

1974年、この時点でメジャーリーグ・ベースボール24チーム中の20チームがニューエラと契約していた。地方から全国規模まで、様々なスポーツで毎年順調に事業拡大し続けていた。

1977年、ピッツバーグパイレーツの
 <ポップ・アンソン>と呼ばれたモデル。

80年代はデイブによって牽引された確実な成長の10年だった。この時までに
ニューエラは、大学スポーツ、地方スポーツ、AAA、テニス、ゴルフ、軍関係
そして26チーム中23のメジャーリーグ・ベースボールのチームへ販売していた。

80年代はデイブによって牽引された確実な成長の10年だった。この時までにニューエラは、大学スポーツ、地方スポーツ、AAA、テニス、ゴルフ、軍関係そして26チーム中23のメジャーリーグ・ベースボールのチームへ販売していた。

ミュアフィールドビレッジGCの1980年代初期に
製作されたキャップ。当時、ゴルフ界の帝王と
呼ばれたジャック・ニクラウスより、
CEOのデビッド・クックに贈られたもの。

1993年、ニューエラはメジャーリーグ・ベースボールより、全球団のオンフィールド
キャップを製造する独占的な権利を与えられた。1996年、映画監督スパイク・リーが
「赤いヤンキースのキャップ」をニューエラに個人的にリクエストした。ここから
ニューエラがファッションとの関わりを深めていく。1997年、フラッグロゴが登場。
以降あらゆる製品にこのロゴがつけられるようになった。

1993年、ニューエラはメジャーリーグ・ベースボールより、全球団のオンフィールドキャップを製造する独占的な権利を与えられた。1996年、映画監督スパイク・リーが「赤いヤンキースのキャップ」をニューエラに個人的にリクエストした。ここからニューエラがファッションとの関わりを深めていく。1997年、フラッグロゴが登場。以降あらゆる製品にこのロゴがつけられるようになった。

リンプ・ビズキットのフレッド・ダースト。
彼のトレードマークである
赤ヤンキースの59FIFTY®は、
ファンの間で熱狂的に支持された。

2001年、クリスがCEOに就任した。
2006年、本社が創業の地バッファローにある元銀行だった建物に移設される。

2001年、クリスがCEOに就任した。2006年、本社が創業の地バッファローにある元銀行だった建物に移設される。

アメリカ合衆国大統領だけが
 被ることをゆるされた[59FIFTY®]。

世界最高のヘッドウェアブランドとして揺るぎない地位を確立。2012年、
アメリカ合衆国の国技のひとつであるアメリカンフットボール最大のプロリーグ、
NFL (ナショナルフットボールリーグ)のオフィシャルサプライヤーとなる。

世界最高のヘッドウェアブランドとして揺るぎない地位を確立。2012年、アメリカ合衆国の国技のひとつであるアメリカンフットボール最大のプロリーグ、NFL (ナショナルフットボールリーグ)のオフィシャルサプライヤーとなる。

2017年よりMLBの公式選手用キャップに
フラッグロゴが刺繍されることになった。

2020年に100周年を迎える、
ヘッドウェア&アパレルのグローバルブランド「ニューエラ」。

2020年に100周年を迎える、
ヘッドウェア&アパレルのグローバルブランド「ニューエラ」。

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